クリスマスの箱舟（4）-周平×裕太-

（ひょっとしたら一人で帰ったのかもしれない）
裕太の姿が公園内に見当たらなかったとき、まず一番最初に周平が考えたのはそのことだった。
中目黒にあるこのなべころ坂緑地公園は、祐天寺の自宅からは少し離れていたが、裕太が通う祐天寺附属幼稚園からは近かった。
ぐっと奥歯をかみ締めて不安に脈打つ心臓を落ち着かせ、周平は勤めて冷静であろうと努力した。
（裕太だって、もう今年の春から幼稚園に通ってるんだ、それぐらい出来ても不思議じゃない）
落ち着いてそう判断すると、周平はサッと身を翻して駆け出した。

「裕太！」
その名前を呼びながら自宅の門を潜り抜けた周平を迎えたのは、しかし本人ではなくその母親だった。
友人の葬儀から戻ったばかりの母親は、周平の突然の大声に驚いて、両手に抱えていた荷物を音を立てて落とすと、慌てて後ろを振り返った。
「なっ、なに！？」
裕太に良く似た優しい面差しを驚きに引きつらせた彼女は、声の主が自分の息子であると認識すると、ほっと肩の力を抜いて、大げさに頬を膨らませた。
「こら、周平！　急に大きな声出すから、お母さんびっくりしちゃったでしょ」
敷石の上に散らばった荷物を拾いながら、童顔の大きな瞳をさらに大きく見開いて、彼女は周平を叱った。
しかし周平は、母親のそんなつまらない小言を聞いてはいなかった。
「裕太！　裕太は？　帰ってる？」
息せき切ってそう尋ねた周平を、母親は中腰のまま不思議そうな顔で見た。
そうして、どうやら自分の息子が、もう一人を探して駆け戻ってきたのだと判断すると、ゆっくりと首を横に振った。
「ゆう、た、が……？」
恐るおそるそう尋ねた母親に、周平は裕太が公園からいなくなったことを話した。
母親は全てを聞き終えると、言葉にならない悲鳴を上げて、その場にへたり込んだ。
*
半狂乱になっって泣き喚く母親の声を聞きつけて、隣に住む廣瀬夫人が駆けつけてきた。
廣瀬家にも裕太と同い年の諒という男の子がいて、普段から家族ぐるみの付き合いがあった。
動転して要領を得ない母親の変わりに、周平が夫人に事情を説明した。
茶道家元の肩書きもある廣瀬夫人はさすがに落ち着いていた。
夫人は、喪服のまま玄関先に座り込んでいる母親をなんとか立ち上がらせると、邸内に入るよう促した。
周平は肩を支えて母に寄り添う夫人の背に声をかけた。
「おばさん、母さんをお願いします。俺、裕太を探してきます」
周平はそう言い残すと、我を失っている母親を夫人に任せて、門の外へと飛び出した。
後ろから「日没までに見つからなければ捜索願を出しましょう」と母親をなだめる夫人の声が聞こえた。
*
自宅から飛び出した周平は、まず祐天寺の駅前から始め、よく母親が利用するスーパー、商店街、駒沢通りを横切り、目黒税務署を抜け、祐天寺附属幼稚園から祐天寺の境内へと、心当たりをしらみつぶしに当った。
「あの！　ちょっと、すみません！　迷子なんですけど――」
そうして走りながら、行きかう人、全てに声をかけた。
「三歳ぐらいの男の子……いえ、ひょっとしたら、女の子に見えたかもしれない。フリルの付いた裾の長いブラウスに、ピンクの半ズボンで、髪は肩まであって――」
車内に人のいる車が目に入れば、ガラスを叩いてドアを開けさせ、中の人間を確認した。
「すみません、子供を探してるんです。まだ小さい子、すごくかわいくて――」
*
町中を駆け回った周平は、結局裕太を見つけられぬまま、再び、なべごろ坂公園へと戻ってきていた。
荒い息の下、額から吹き出した汗をぬぐおうと顔を上げた周平の目に、紫色に染まりつつある西の空が映った。
日没までもう時間が無かった。
「裕太！　ゆうたー！」
周平は声の限りに名前を呼んだ。
裕太が住宅街の真ん中にある小さな公園から姿を消して、そろそろ三時間が過ぎようとしていた。