短編｜周平×裕太（2）絶対の秘密[裕太視点（2）]

俺がまだ中学に上がる前、兄ちゃんは就職して、家を出て行った。
「どうして、オレを置いていくの」なんて、膝にすがって泣いた様な気もするけど……、あんまり良くは覚えてない。
オレって、嫌なこととか直ぐ忘れちゃう性格だから、きっとそれも忘れちゃったんだと思う。
だから、オレが覚えているのは、兄ちゃんが出て行ったときのことじゃなくて、その後の、どこか、ちょっとだけ寂しくなった、特別な家の空気なんだ。
*
兄ちゃんは騒がしいタイプじゃないし、オレと一緒になってふざけたり、はしゃいだりなんかもしない……、どっちかっていうと、余裕のある落ち着いた感じの人間だから、それで突然家が静かになったって言うのは、変だなぁって思うかもしれない。
だけど、本当にそうだったんだ。
だってオレ、それだけは良く覚えてるもん。
いつもと同じ、何一つ変わってないはずの家が、兄ちゃんがいなくなっただけで、ちょっとだけ静かになって、ちょっとだけ暗くなって、ちょっとだけ……ひんやりと、冷たくなったんだ。
本当だって。
子供心にも、「ああ、人がいなくなるって言うのは、こういうことなのかな」って、そんなふうに思ったのを、よく覚えてるんだから。

――――それから、ずいぶんと時間がたって、オレは高校生になって、そして一人暮らしを始めたんだけど、そのときも思ったもん。
「ああ、人がいないって、こういうことなんだな」って。
体調が悪くて起き上がれないときとか、夜中に急に目が覚めちゃったときとか、残り物で作った料理が、思いもよらず美味しく出来たときとか…………「ああ、一人って、こういうことなんだな」って、オレ思ったんだ。
*
夜中にふっと目が覚めるだろ、そしたら――当たり前だけど、暗いじゃん？
だから、オレは慌てて電気のスッチを入れて、とりあえず部屋を明るくする。
そうして、布団にくるまって、しばらくじっと外の音に耳を澄ませるんだ。
そうすると、色んな音が聞こえてくる。
――薄い壁越しに漏れてくるお隣のTV、窓の下を酔っ払ったオジさんが歌いながら歩いてる、その脇をスクーターが一台かけて行った……。
オレは、そんな生活の音を発見して、それでようやく安心するんだ。
大丈夫、オレは今一人じゃない。
この世界に、この瞬間に、オレと一緒に生きてる人が、確かに存在してるんだって。
そうしてオレは、もう一度眠りに付く。
一人ぼっちの夜に、もう目が覚めませんようにと、祈りながら。
*
考えてみれば、オレ生まれたときからずっと、一人でいるってこと、あんまり無かったんだよね。
母さんは専業主婦で、いつも家にいたし。
両親が旅行で家を空けるときは、兄ちゃんが一緒にいてくれたし。
諒も隣に住んでて、しょっちゅう遊びに行ってたし。
だから、そういう一人ぼっちの寂しさって、感じたこと無かった。
だから、自分でも気が付いてなかったんだ。
オレって、暗いの嫌いだし、狭いの嫌いだし、怖いのも嫌いなんだけど…………寂しいのも嫌いだったんだって。
*
あ、でも、今はもう大丈夫だよ。
だって、兄ちゃんがいるから。
オレが目を覚ませば、その隣にはいつも兄ちゃんがいるから、もう夜中に起きたって、全然寂しくないんだ。
ちょっと横に手を伸ばして、兄ちゃんの温度を探って、ごろん寝返りを打ってその中に潜り込めば、もうオレはそれですっかり安心なんだから。
兄ちゃんも、それで起こされたって、別に嫌な顔なんてしない。
「怖い夢でも見たのか」って、笑ってぎゅっとしてくれる。
*
諒は「あんな図体のでかいのに世話焼かれたってウザイだけじゃん」なんて、悪口言ってたけど、オレはそれって逆だと思うな。
兄ちゃんの広い胸って、すっごく安心できるんだよ。
…………って、まあそんなこと、諒には、口が裂けたって言えない、絶対の秘密なんだけどね。