依存症(2)-周平×裕太-

「“ファッションの天国屋”の復権か、まあ悪くは無いな」
「は……」
突然、飛んだ話に、周平は一瞬面食らった。
しかし、すぐにそれが竣工したばかりの、メンズ館を指しての言葉だと分かった。
ちょうど東口の真上になるこの場所からだと、明治通りに沿って弧を描くようにして建つ本店の全体が見渡せるのだ。
南口の端に80億円をかけて新設したメンズ館も、春先の澄んだ空気の中、実際以上に近く見えている。
「ああ、あれですか」
周平は、新館の壁を見ながら頷いた。
屋上から吊り下げられた大きなシート広告には、オープンの告知と、翠目の男性モデルの横顔。
硬いスーツを緩く着崩した立ち姿と、眉間にしわを寄せた不機嫌そうな表情は、年配者や女性からは共感を得にくいかもしれない。
しかし今の天国屋に必要なのは、まさにそういったアクの強さだと、周平は信じていた。
そして実際、今朝の会議で報告された媒体別広告効果の速報値も、その方針が間違っていなかったことを、集まった幹部全員に納得させた。
「あれは、ほんのスタートラインですよ」
周平は静かに言った。
メンズ館のプレオープンは、今週末。
しかしそれは、総額400億円をかける、天国屋本店構造改革の第一歩にすぎないのだ。

「それにしても――」
周平は店内に視線を戻すと、冗談めかして肩をすくめた。
「こういった感性は、ご年配の方には中々理解していただけないものと思っていましたが」
「お前は、誰に向かって物を言っておるんだ。ワシは、マクドナルド一号店の行列に、朝一番で並んだ男だぞ」
「それは、どうも、御見それいたしました」
「まったくだ、この青二才めが！　まあ、ワシもさすがに、歌って踊るアイスクリーム屋では、運転手に並ばせたがな」
「歌って……ああ、コールド・ストーン・クリーマリーですか。しかし、それはかなり賢明な判断をされましたね」
「なんだ、お前もそう思うか」
「ええ、被害にあった運転手には、多少同情しますが」
祖父と孫は互いの軽口に、声を揃えて笑った。
ようやくその場が、肉親の語らいらしい和らいだ雰囲気になった。
「全てのプロジェクトが終了するのは、これから5年後の予定です」
「うむ、ならば事の成否が定まるのは、10年後だな」
「10年……そうですね」
祖父の言葉に、周平はふと流れる時間を想像した。
10年後、自分は37歳。よほど大きな失敗でもなければ、本社の部長か、中堅子会社の取締役ぐらいにはなっているだろう。
そして、そのころ裕太は……と、考えて、周平はハッとした。
――そうか、これから10年経っても、あの子は今の俺の年すら越えていないのか。
当たり前すぎる事実だったが、周平は改めて二人の間を隔てる溝の大きさを、突きつけられたような気がした。
「お前も、結果が楽しみだろう」
「え――ええ」
周平は内心の動揺を、そつのない笑顔で取り繕った。
「ワシの目が黒いうちに、お前には一人前になってもらわんとな」
「……はい、ご期待に沿えるよう、精一杯努力します」
周平はぐっと顎を上げると、真っ直ぐに祖父の目を見て頷いた。
これから10年先、20年先、そのもっと先までも、裕太を守ってやれるだけの力を、手に入れなくてはならないのだ。
それは、あるいは『裕太を囲っておけるだけの力』と、言い換えられたかもしれないが、周平にとっては、どちらも同じことだった。