災いの黒幕（3）-周平×裕太-

「あ～あ～あ～あ～、お前ら何やってんだよ」
その一瞬の、息の詰まるような静寂を、無遠慮に打ち破ったのは、二人のクラスメイトである芳賀伊吹だった。
あまり空気が読めない体質の芳賀は、諒の尋常でない様子にもまったく気が付かないようで、むしろその口調には、バカをやらかした同級生を面白がるような、おどけた響きがあった。
「藍川ならともかく、廣瀬まで、こんなことやるなんてな」
あはははと、二人の失敗を豪快に笑い飛ばした芳賀に引きずられるように、凍り付いていた教室の雰囲気が和んだ。
「だよなあ、驚いたぜったく、じゃれあいは小学生までにしとけっての」
「おーい、藍川、あんまし、廣瀬に迷惑かけるなよなー」
「廣瀬君って陸上部でしょ、部室で着替えて来なさいよ、先生には言っといてあげるから」
どっと沸きあがった二人を囃し立てる声に、裕太は暗い穴から助け出されたように、ほっと安堵の息を付いた。
「ご、ごめん、みんな驚かせて」
照れ隠しに頭をかきながら、えへへと愛想よく笑って見せた裕太に対して、ようやく我に返った諒は、顔面蒼白で、その体は小刻みに痙攣していた。
「りょう、諒、大丈夫だよ、諒」
裕太は、ハッハッと浅い呼吸を繰り返す諒の耳元で、そっと囁くと、爪が手のひらに食い込むほど強く握り込まれたこぶしを引いて、教室を出た。
「違う、俺は、こんな――違う、アイツとは違うんだ、違う…………」
ほとんど聞き取れないほど低い声でぶつぶつと呟やく諒は、裕太の目には、酷く何かを怖がっているように見えた。

パニックを起こした諒の手を引きながら、そう言えばこれはあのときと一緒だなと、裕太は思った。
犬に追いかけられたとき、近くに雷が落ちたとき、何か突発的な出来事で怖い思いをしたとき、諒は良くこうなった。
一方で、過保護に甘やかされて育ってきた裕太には、そういう「自分に何か悪いことが起こるかもしれない」という、身を守るために必要な想像力が決定的に欠けていたから、怯える諒の隣で事態が良く飲み込めないまま、ただぽかんとしているのが常だった。
*
「諒、大丈夫だよ、ちょっと濡れただけで、別に怖いことなんかないよ」
昔を思い出した裕太は、まるで小さな子供の頃に戻ったような気持ちで、諒の背中を撫でた。
自他共に認める「しっかりもの」の諒を、こんな風になだめられるのは、幼馴染の自分だけだろうと、裕太は少し自慢したいような気持ちになった。
「ゆ、裕太っ、違うんだ、俺はそんなつもりじゃない、本当に、違うからっ」
混乱したまま要領の得ない話を続ける諒に、裕太はただウンウンと相槌を打った。
「俺はアイツとは違うんだから、あんなことしたいなんて思ってない、考えたこともないっ」
裏返った声でまくし立てる諒に、そうだねと適当に話を合わせながら、裕太は内心で首をかしげた。
（「アイツ」っていうのは多分、兄ちゃんのことだよな）
裕太はずっと、諒は周平のことを嫌っているのだとばかり思っていた。
けれど、全身をガタガタと震わせて「違う、違うんだ」と必死で何かを否定しようとしている諒の姿は、嫌ってるというよりも、むしろ怯えて、その恐ろしいものから逃れようとしているように見えた。
（でも、諒は、兄ちゃんの何がそんなに怖いんだろう…………）
裕太は、時に過保護すぎると思えるぐらい、どこまでも自分を甘やかす兄、周平の優しい笑顔を思った。
あの周平に、こんなにも諒を怯えさせる何かがあるなんて、裕太にはとてもそうは思えなかった。