心のアルバム（9）-周平×裕太-[周平視点（4）]

自宅にて
裕太9才　周平20才

――熱を出す。
それが、赤ん坊の頃から変わらない、裕太の最大の必殺技だ。
肉体的疲労が溜まったとき、精神的苦痛に追い詰められたとき、裕太は言葉でＳＯＳを発する代わりに、熱を出す。
そうして、外部に自身の危機を伝える。
*
裕太はもともと口が上手くない。
警戒心が無くて、疑うことを知らない人懐っこい性格だから、友達作りは天才的に上手いが、その一方で、他人の心の機微に疎く、自分の気持ちを言葉にして伝えるのが苦手だから、周囲に振り回されて、ヘトヘトになってしまうことも度々だ。
*
だから、そんなとき、裕太は言葉で「いやだ」「つらい」と言うかわりに、熱を出す。
熱を出して、自身を強制的にその苛酷な環境から隔離する。
そして時には、その記憶ですら消し去ってしまう。
*
裕太が発する、そんな特別な声に気が付いてやれるのは、この世で俺だけだ。
母も、父も気が付かない、ましてや同じ教室で幾らかの時間を過ごすだけの「赤の他人」連中に分るはずもない、そんな裕太の言葉を、この世でただ、俺だけが知っている。
裕太の声が聞けるのは、この世でただ、俺だけなのだ。

「あれ、裕太。ちょっと顔が赤いぞ、どうした、また風邪かな」
「ううん、何ともないよ」
「そうか？　ちょっとこっちにおいで、見てやるから」
「うん」
「どれ……うーん額は少し、熱いかな……裕太、口開けて、あーって大きく」
「あーーー」
「喉は腫れてない……咳きもない？」
「うん、ない」
「そっか、じゃあ風邪じゃないか」
「うん、元気」
「…………裕太。ひょっとして、今日、何かあった？」
「何かって？」
「そうだな…………嫌なこととか、困ったこととか、ない？」
「わかんない」
「ゆっくり考えていいよ、兄ちゃんずっと待ってるから」
「でも……わかんない」
「そうか………………じゃあ兄ちゃんと、お船ごっこしようか、裕太」
「お船ごっこ？　うん、いいけど……」
「よし、じゃあ膝に跨って、首につかまって、ちゃんと目は閉じるんだぞ……さあ、準備はいいか？」
「いいよ、できた」
「じゃあ、出発だ……ほら、ゆーーら、ゆーーーら、お舟が揺れる」
「ゆーーら、ゆーーーら…………兄ちゃん、この舟、どこ行くの？」
「そうだね、どこに行こうか？　裕太はどこに行くと思う？」
「……うんとね、学校？」
「学校か、よし、ゆーーら、ゆーーーら……ゆーーら、ゆーーーら………………はい、学校に着いたよ、何が見えるかな？」
「…………マド……？」
「マドだね、それでどうしたのかな？」
「…………マドが割れちゃって、先生が怒ってる……」
「そうか、マドが割れちゃって、先生が怒ってるんだ」
「うん、すごく怒ってる、皆がふざけて割ったんだって、大きな声で……諒が怖がって、泣いちゃった」
「諒が泣いたんだね、ふざけて割ったって、先生が怒ったから」
「ホントは違うのに、6年生がやったのに」
「そうか、本当は、6年生がやったんだ」
「ちゃんと見てたんだけど、言えない……先生すごく怒ってるから」
「裕太は見てたけど、言えないんだね」
「先生は、謝れば許してくれるって」
「謝れって言ったんだね……」
「だから、ごめんなさいって言ったの、諒がかわいそうだから……イヤだったけど、先生怒ってるから」
「そうか……裕太はイヤだったんだね」
「うん、凄くイヤだった、だってホントは違うもん」
「そうだね、違うんだね」
「違うよ、ホントは6年生がやったんだよ」
「6年生がやったんだね、わかったよ……兄ちゃんは、ちゃんと分ったよ」
「うん……」
「大丈夫だよ、兄ちゃんは、いつだって、裕太の味方なんだから、何でも話して良いんだ」
「うん………………」