心のアルバム（8）-和泉澤＋櫻井×裕太-[裕太視点（2）]

教室にて

櫻井はちょっと変わってる。
変わってるって言っても、滝沢みたいに派手で目立つから周囲から浮いてるとか、そういうんじゃない。
むしろ櫻井は、そういう滝沢みたいな存在とは間逆にいる人間だと思う。
*
櫻井はいつも一人だし、誰ともしゃべらないし、休み時間になっても席に座ったまま、黙って本を読んでる。
それも凄く難しい本。
辞書みたいに分厚くて、細かい字がびっしり詰まってて、もちろん挿絵なんかなくて、ついでに時々日本語じゃなかったりするから……俺にはもう全然意味が分らない。
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興味本位に、どうしていつも一人なのなんて、聞いたことがあるけど、櫻井は小さく笑っただけで、何も答えなかった。
それはとても空疎な微笑みで、俺はどきりとした。
失うことを知っている目だった。
*
多分、櫻井にはわかっていたのだと思う。
俺には理解できないということが。
どんなに説明しても、百万の言葉を費やしても、俺には決して理解できないのだということが。
だから櫻井は何も語らず、あんなに寂しく笑ったのだと思う。

「やあ、藍川くん。こんにちは、また会ったね」
「あ、和泉澤さん、こんにちは――あの、櫻井は今電話で……」
「うん、分ってるよ。入ってくるとき下で顔合わせたから。僕はいつも通り、本を借りに来ただけだから、気にしないで」
「は、はい。そうなんですか……？」
「そう。勝手知ったる他人の家ってね――――と……あれ、おかしいな、ここ一冊抜けてるんだけど……藍川くん――が、知るわけないよね」
「え？！　お、俺ですか。す、すみません、わかりません……」
「だよねー……啓寿が本を貸すような友達、僕以外にいるはず無いんだけど……おっかしいなあ」
「あ、あのお…………ちなみに、何を探してるんですか？」
「うん、ルソーの『告白』なんだけど……啓寿が欠巻させるはずないのになあ……」
「る、るそー……？」
「ジャン＝ジャック・ルソーだよ。『社会契約論』とか『人間不平等起源論』とか、授業で読まされるだろ？」
「じゅ、授業で？！」
「そう、「自然に帰れ」ってね……まったく、露出狂の変態に相応しい思想だよね」
「へ――――ん、たい……ですか…………」
「ああ、ごめん、気を悪くした？　ひょっとして、ルソー好き？　たしかに、藍川君なんか、ルソーの教育論には共感する所、多そうだもんね」
「へ…………？」
「『エミール』とか読んで、感動しちゃった？」
「えみーる……ごめんなさい、わかりません…………るそーとか、そういうの全然…………」
「え――――。あぁ…………うん、まあいいや、気にしないで、こっちの話だから」
「すみません…………あ、あの、櫻井は、こういうの好きですよ、ね……？」
「そうだね、啓寿はロマン派好きだね。音楽もバッハとかモーツァルトとかそういうのばっかり聴いてるだろ？」
「ロマン！　はい！　そうです、櫻井ってすごいロマンチストですよね！　それなら、わかります！」
「――――へぇ、啓寿のロマン主義が、君にわかるの？」
「はい！　櫻井って見た目はすごいクールで、気難しそうに見えるけど、本当はすごく可愛いもの好きで、綺麗なものとか、優しいものとかが好きで……そんで、いつも夢みてるみたいに、キラキラした理想を追いかけてて……だから――それ、すっごい、わかります！」
「ふーん…………ま、啓寿の理想に付き合うのも良いけど、程ほどにしておいたほうが良いよ、あいつはちょっと変だからね。君なんか簡単に洗脳されて、ペットにされちゃうよ――――――――って、ああっっ！！」
「なっ、なんですかっ？！」
「あった！　鞄の中にあったよ、告白録。――――まったく啓寿は、よくこんな恥ずかしい本、学校持って行けるよね。また気持ち悪いとかって、いじめられても知らないぞ、僕は」
「えーっと、あのぉ…………」
「それじゃ、藍川君、目的のものは手に入れたから僕は帰るよ」
「へ――――？　あ、はい」
「また……ね」
「さ、さようなら。和泉澤さん」