深呼吸（9）-周平×裕太-

「ドキドキ？」
今夜は謎賭けみたいな質問ばかりだなと、周平は苦笑して首をかしげた。
「そうだよ……俺が好きなら、ドキドキするはずでしょ？　なのに、兄ちゃんはいっつも、普通みたいにしてるじゃんか……そんなの、変だよ……俺ばっかり、こんな風に……」
裕太はそこで一旦言葉を切ると、精一杯の虚勢を張って周平を睨み付けた。
「に、兄ちゃんは、もう慣れてるから、ドキドキしないんでしょ？」
裕太は、色事慣れした様子の周平に、辛辣な皮肉をぶつけてやったつもりだったが、そのかすれる語尾が、本人の強がりを露呈させていた。
「兄ちゃんには、か、彼女が、沢山いるんだもん、ね……」
周平は突然飛び出した思いもよらない暴言に、怒るべきなのか、あるいは笑うべきなのかと迷って、裕太をまじまじと見下ろした。
「何を言ってるんだ？」
裕太は、周平の視線に一瞬怯んだが、それでもなんとか目を逸らすまいと、口をへの字に結んで頑張った。
「だ、だから、兄ちゃんには、こんなこと、なんでもないんでしょ？　触ったり……キ、キスとか、そういうのも、普通なんだ……」
周平は、ほとんど震えながらあてつけを言う裕太のこぶしが硬く握られているのを見て、そのけなげさに、ふっと息をはいた。
「……そうか、そうだな……ああ、たしかに普通だよ、俺にとっては。裕太に触るのも、キスするのも、全部、普通のことだよ」
あてこすりをあっさりと肯定した周平の返事に、裕太は愕然とした。

「な、なんで……そんなこと、言うの……」
周平の否定を期待して、わざと試すような言い方をしていたのに、そんなにも簡単に認められてしまっては、裕太の立つ瀬がなかった。
「お、俺には……俺には、に、兄ちゃんしか、いない、のに……」
親にも、友達にも、幼馴染の諒にだって言えない秘密を抱えて立ち往生している自分を、周平はこんなにも簡単に突き放してしまうのだと思うと、裕太は立っていられないほど絶望的な気持ちになった。
「ひどいよ……ひ、ひどい……」
周平を非難してやりたかった、酷い裏切りだと罵ってやりたかった、しかし、裕太に出来たのは、子供のようにうずくまって、嫌だ嫌だと、だだをこねてみせることだけだった。
「裕太、ゆうた？　一体どうしたんだ？」
突然しゃがみこんで、しゃくりあげだした裕太に、周平は慌てた。
「落ち着いて、兄ちゃんは、何にも酷いことなんて言ってないだろう？　な？」
さあ、いい子だからと、焦ってなだめようとする周平の手を、裕太は身をよじって拒否した。
「ふ、普通って、い、いった……普通だっ、て……」
むずがる赤ん坊をあやすようなその手の動きに、裕太はいっそう周平を困らせたくなって、激しく首を振った。
「うん？　それが、気に入らなかったのか？　でも、裕太だってそうだろう？　俺に触るのも、キスするのも、裕太にとっても、普通だったはずだけどな」
裕太が何にこだわっているのか、おぼろげながら掴みかけた周平は、殊更にゆっくりと、言い聞かせるようにして語りかけた。
「そ、そんなこと、ない……」
ひっく、ひっくと声を飲み込むようにして泣いている裕太の姿に、周平は二人で過ごした遠く懐かしい日々を思い出していた。
「そうかな？　小さい頃は、裕太のほうからよくキスしてくれたのに？」
親父にはしなかったのに、何故か俺にだけは毎朝「いってらっしゃいのチュー」をしてくれたんだけどな、と周平は裕太が幼稚園に上がる前の、あまりにも昔すぎる話を持ち出した。
「……そ、そんな、の……覚えて、ない……」
裕太は多分周平の言っていることは本当なのだろうと思ったが、それでも意地になって、そんなことは知らないと突っぱねた。