日々是好日（6）-周平×裕太-

周平は裕太と二人でいるときには、仕事の話は滅多にしない。
聞けば答えてはくれるが、それも裕太に分る範囲を、ごく簡単に、噛み砕いて説明するだけで、組織だとか、経営だとか、そういった難しい話は絶対にしない。
天国屋グループは一族支配の固い結束で成り立っている同族企業だから、家族や親戚が集まれば、必ずそういった話になる。
だが、何も分らない裕太は、どんな話題にも遅れることなく付いていく周平の隣で、一人、お茶とお菓子に専念するのが慣例だった。
「除け者にされているみたいでつまらない」と不満を漏らすと、周平はいつも笑って「それじゃあ、もっと楽しい話をしよう」と、裕太にも分るような、学校や、季節や、食べ物の話に話題を切り替える。
「理解できるよう勉強しろ」とは決して言わない。
むしろ周平は、裕太にそういうことを知ってほしくないと思っているふしがある。
「お前にはまだ早い」「もっと他に学ぶべきことがあるだろう」と言われてしまえば、知識のない裕太は「そんなものかな」と納得するしかない。
*
あの「現場主義」「実力主義」を貫く祖父自ら「私の跡継ぎ」と公言するぐらいだから、周平は親族の中でも秀抜なのだろう。
しかし、それも裕太には良く分らない。
「営業企画部」が何の仕事をしている部署なのか、その中で「主任」というのがどういった立場にあるのか、この間周平が言った「来春から係長になる」という言葉の意味も……裕太には何も分らない。
ただ、「一緒に居る時間が少なくなるかもしれない」といって、ごめんなと謝った周平が、酷く辛そうだったと……裕太分ったのは、それだけだった。
だから裕太は「大丈夫だよ」「心配ないよ」と、殊更明るく振舞って見せた。
本当は、「主任」と「係長」では、何が違うのかも良くわかってはいなかったけど。
周平を元気付けようと、一生懸命笑って見せた。
いつも、自分の為に何もかもを犠牲にしようとする周平に、何かしてあげられることがあればいいのだけれど、そう思った裕太にできる、それが精一杯だった。

「藍川主任、弟さん、待ちくたびれてますよ」
何とか仕事に区切りを付けて、大急ぎで裕太を迎えに降りた周平に、壮年の警備員がにこにこと笑いかけた。
濃紺の制服が指す先を目線で追うと、ロビーの真ん中で、裕太があーと大きく口を開けて、天井を見上げていた。
新館オープンを知らせる、シート広告に注目しているらしかった。
「親にエサをねだる、ひな鳥みたいじゃありませんか」
かわいらしいですねえと、警備員は、まるで自分の孫を見るように目を細めた。
周平も、ああ、本当にと、思わず微笑み返した。
「――あの子も、もう今年から高校生なんですけど、いつまでたっても、稚気が抜けなくて」
周平はそう言いながら、少し困ったように眉を下げて見せた。
しかし、その言葉の端々から、でもそんな弟がかわいくてたまらないのだという愛情が、隠しようも無く溢れ出ていた。
*
「どうした、裕太。そんな大きな口をあけて」
上を向いて立ち尽くす裕太に、周平はそっと忍び寄った。
声をかけると同時に、後ろから手を伸ばして、その顎をくすぐった。
「ご飯が待ちきれなかったか？」
「――――ひぁっ！！」
裕太は頭の天辺から抜けるような悲鳴を上げて、大きく仰け反った。
背後に立った周平は、それを予測していたかのように、慌てることなくトンと受け止めた。
「っと……ごめん、ごめん、裕太。驚かせたか」
「に、兄ちゃん！？」
笑いをかみ殺しながら、ゴメンと謝ったその声に、裕太は悪戯の仕掛け人が周平であることに気が付いた。
少しも悪びれないその態度に、裕太はぷーっと頬を膨らませた。
「あのねぇ――――」
文句を言おうと勢い良く後ろを振り返った裕太は、周囲の視線にはっとたじろいだ。
夜食の買出しだろう、コンビニの袋を片手にエレベーターを待つ若手社員が、驚いたような顔をしてこちらを見ている。
受付カウンターの脇に立った警備員は、官帽のつばを抑えて肩を震わせている。
「裕太君。あんまり、主任を困らせちゃだめよ」
口紅も鮮やかなOL集団が、クスクスと笑いながら、二人の前を通り過ぎていった。
裕太は、自分の悲鳴が注目を集めたことにようやく気が付いた。
「な、な、な…………」
裕太はどっと赤面した。
「う～～～～～～もう、兄ちゃんの馬鹿っ！！」
裕太は周平の手を掴むと、走ってその場から逃げ出した。